NO.454 父の書斎
先日は、時ならぬ4連休をいただき、失礼しました。
シェフはたまった帳簿つけ、私は8月に亡くなった父の書斎の片付けにと、
それぞれ別々のお休みを過ごしました。
大正14年生まれの私の父は昭和元年が1歳。
20年、終戦の年が20歳と、まさに昭和の人。
ここ数年は体調を崩し、書斎に入ることもほとんどなかったので、
部屋の散乱ぶりは目に余るものでした。
浄土真宗の僧侶であり、
布教師としての一生がぎっしり詰まった父の書斎は、
私たち家族にとっても、聖域ともいうべき場所でしたが、
父の老化と共に時間が止まったままになっていました。
窓を開け、風を通し、さしっぱなしだったコンセント類を抜いただけでも、
部屋に生気が戻った気がしました。
整理を初めると、たくさんの本や教案の中から、
昭和20年に大学に入学した年から、
2013年までの手帳がほぼすべて出てきました。
ボロボロになっているのもあるが、写真付きの学生証がはさんであったり、
日々の予定や買い物メモなど、父の息づかいが聞こえてくるものでした。
私が生まれた年の手帳には私の名前と「誕生」の大きな文字。
その翌年は、「母死去 会館建立」と大書されていました。
活字かと思うようにびっしりと書きこまれた、学生時代のノートなどなど、
私は、3日間部屋に篭りきりで、なんとかザッと片付けました。
書道家でもあった父の部屋には書道関係の書籍、
印、筆、墨、そしてたくさんの紙。物のない時代日育ち、
広告の裏一枚でも捨てるのは、申し訳なく、もったいない、
書道教室では書き損じの半紙にも練習を、が口癖でした。
しかし、、本、教案を綴った紙、
半紙や奉書紙と部屋にあるものはとにかく紙。
紙、紙、紙に恵まれた一生だったのだなあ、と思わずにおれませんでした。
今後は、浄土真宗の布教にかけた父の一生の足跡を、
お参り下さった方々に展示して、お見せできるようにしていこうと、
思っています。
仕事と両立は大変ですが、ぼつぼつやっていきます。
浅野屋ののれん、看板、箸袋、入口の額等も父の字です。
トイレの額は、へへへ、私だけど。
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