NO.531 古津先生
エッチングのことを思い出したら、
中学時代の美術のことが懐かしく蘇りました。
中一の時の担任は美術の古津(こつ)先生。
他教科の先生とは一味も二味も違う先生の雰囲気が大好きで、
3年間何かとお世話になりました。
中2の時だったか、細長い木を使って、実用的なものを作るという、
木彫の授業がありました。デザインを考え、
大まかな型を電動ノコで切ってもらい、そこから彫り上げます。
見本は木のスプーンで、私も木のスプーンが作りたくて、
何案か考えているうちに、細長い木の形状を利用して、ワニを作り、
その背中に切り込みを入れて、
状差しにできるんじゃないかと思い付きました。
スプーンに未練があったけれど、
先生は、他の子にないアイデアを褒めて下さり、ワニを勧められました。
凹凸のあるワニは彫りがいがあり、出来栄えも、まずまず。
最後に細くなってる目のところを彫ってる時に、「アッ!」
手が滑り、目の部分を落としてしまいました。
どうするか? 片目のワニじゃダメだし、やり直しはできないし---。
致命的な失敗でもめげることなく、
私は、家にあった貝を目の位置に差し、もう片方の目も落とし、
こちらにも貝を差して提出。
ポスターを描いたり、色んなことをさせていただいたけれど、
先生は発想力や着眼点をいつも褒めてくださいました。
おかげで、美術の授業は、いつも伸び伸びしていたように思います。
中3の最後の授業は、凧作りでした。
和紙に絵を描き、ニスを塗りナイフで竹を削り、
竹ひごの長さ、ひもの長さを自分で考え、完成したら、校庭で、
みんなで、凧揚げをしました。
私は画面を二つに区切り、縄で、吊された、めざしとエビを描きました。
奇抜なデザインをまた先生は褒めて下さり、私も気に入り、
結婚するまで、自分の部屋に飾っていました。
完成後に寒い校庭で凧揚げをしました。
人の4倍の大きな凧を二人で作った男子がいて、
みんなの注目の的でしたが、いざ揚げると、揚がらない。
きっと先生にはわかっていたけれど、きっと何も言われなかったんでしょう。
特別絵が得意でもなかった私だけれど、先生のおかげで、億せず、
伸び伸び、思ったことを表現できたこと、ワニの目の時も、
めげないで最後まで、知恵を絞り、やり遂げたこと、無心になって削った竹。
どれも、今の自分に繋がっている大切な時間でした。
中3の最後にサイン帳に先生は、修学旅行で、
一緒に行った信州の山々を、マジックで鮮やかに描いて下さり、
流麗なサインを入れてくださいました。
大切にしまってあったけれど、残念なことに紛失。
凧もどこかへ行ってしまいました。
でも、ワニだけは、私の鏡台の横にいて、
レンブラントの絵を熱っぽく語る先生の温かな眼差しを思い出します。
ゆとり教育が始まった時、美術や音楽の授業が、週1時間に減り、
それでは絵の具を出したり入れたりで終わってしまうと、案じました。
授業時間は多かったかも知れないけれど、
一つのことを、じっくりとやり遂げた、
実り多かった自分の子供の頃と比べて、
どちらがゆとりと言えるでしょうか?
もっともゆとり教育も、今となったら過去形。
どんな形であっても子供たちが実り多い時間をすごせますように。
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