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さて、現代のインドは今年中には中国を抜いて、人口が世界一位になる大国で、とにかく人々々。
デリーや途中泊まったラクノウなどは、高層ビルが建ち並び、
地下鉄や高速道路もあり、朝夕はたくさんの車で大渋滞です。ちなみにインドでもっともポピュラーな車は「スズキ」。
2位が「ヒュンダイ」だそうで、あちこちで見かけました。
トヨタやアウディなども都心部ではよく見かけたけれども、とても高級だそうです。
大都市に比べ、バスで回った仏跡地はどこもすごい田舎。
菜の花によく似たからし菜の黄色い畑が続き、
小さなヒンズーの祠にお参りする女性あり、素っ裸で修行の道中のジャイナ教徒の僧あり。
バスが着くとものごいに集まって来る、赤ん坊を連れた子ども、手に絵はがきや仏像を持ってくる物売り。
屋根の無い日干しレンガの家々が続き、朝夕には焚き火で煮炊きしている姿をあちこちで見ました。
ちなみに乾季の1、2月の気温は朝夕が4、5度で日中でも20度を越える日はなく、
暑い印象のインドですが、むしろ寒かったです。持って行った薄手のダウンジャケットやセーターを手放せない毎日でした。
道は舗装された道路に慣れている日本の私たちには悪路続きでしたが、
ラクノウからタージマハールのあるアグラへの道、アグラからデリーへ向かう道などは片側4車線の立派な高速道路。
しかも空き空き。これらは通行料金がとても高い私設の高速道路というのにもびっくりです。
考えられないぐらいの貧富の差にも驚かされたインドでした。
1日8時間は乗っていたバスでの眺めは飽きることなく、中でも心動かされたのは、
農村のあちこちで見かけたツルの群れ。アネハズルや黒ズルでしょうか。
彼らは遠くモンゴルの草原からヒマラヤ8000mの山々を一年に一度だけ吹く、
上昇気流に何度もトライしながら乗って、命がけでやってくるとのこと。
以前行ったシルクロードの仏教伝来の道々。私の中で2つの旅が一つになった感動の場面です。
どこか見慣れた風景のからし菜の畑
放牧されている羊の群れ
かわいいデコバスはスクールバス
派手なデコトラック
カオスな交差点
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インドからなんとか生還して、早や10数日経ちました。
その間、続々とお客様がいらっしゃり、中々ブログにも向かえませんでした。
お休みが続いたので、心配下さった方、インドの話を楽しみにご来店下さった方など、
私は改めて旅の目的やら、どうお伝えするかを考えさせられた期間でした。
私にとってはごくごく身近な「お釈迦様」が、一般には仏教の開祖、
ぐらいの認識で、その生涯はあまり知られていないいないのだなあと気づくのに、
時間がかかりました。簡単にそのご生涯と、足跡をお伝えできればなと願って、書き始めます。
今から約2500年前に、今はネパールになっている北インドの小国の王子としてお生まれになったお釈迦様。
29歳で国も地位も捨て一人の修行僧として歩み出されます。
艱難辛苦の果てに35歳でお悟り。それを人々に伝え、
北東インドの広い範囲を旅から旅へのご生涯は実に80年にも及びました。
王位継承の争いがあり、請われればそちらに赴き、教団内で揉め事があればその都度その都度、
ご自身の身をかけて根本解決の道を示された生涯です。
私たちは釈尊がたどられた道をバスで10日間に渡り、たどらせていただきました。
お誕生の地(ルンビニー、ネパール)、成道の地(ブダガヤ)、
初めてご説法をされた地(初転法輪)(サルナート)、お亡くなりになった地(クシナガラ)の4大聖地を初め、
「大無量寿経」や「観無量寿経」、「法華経」などが説かれた霊鷲山(りょうじゅせん)、
布教のための拠点となった祇園精舎やナーランダなどをお勤めをさせてもらいながら回る旅です。
この内、ルンビニーとブダガヤとナーランダ大学跡は世界文化遺産です。
ルンビニーに建つ新摩耶堂 広大な公園として整備され続けています
サルナート、初説法の地に建つダーメクストゥーパ
ナーランダの僧院跡
お亡くなりになったサルナートの地に建つ涅槃堂
浄土教の聖地、霊鷲山で沈む夕陽を見て合掌