No.831 4月1日はエイプリルフール
子どもの頃にはエイプリルフールが流行り、その日が近づくと、
どんな嘘を言おうかな?と楽しみな考えごとをしたものです。
春休みということもあり,気分も開放的だったのかもしれません。
近頃はあまり聞かないなあ、子どもがいればいうのかな?とか思ってましたが、
今年に限ってはそれどころではない事態。
4月1日に非常事態宣言がでるなどとネットに飛び交い、
シャレでは済まされない空気感です。
だから、あえてエイプリルフールの話題を。
学生スタッフのMさんのお話しです。今春、大学院進学のお兄さんの卒業証書が郵送で届いたそうです。
卒業式もなくなり、証書も郵送とは、いかにも今年ならでは。
受け取った彼女は「開けてもいいかな?」と尋ねて、開封した後、
「お兄ちゃん、単位が足りないと書いてあるよ」と悪いギャグ。
お兄ちゃんの驚きようは相当だったと笑ってました。
もちろん卒業証書がきているのだから、単位不足は彼女の嘘。
それを聞いて私は「エイプリルフールには、ちょっと早いよ」と。
私の子どもの頃の最大のエイプリルフールは、大勢のお兄さん、
お姉さんたちにだまされた、大阪堺市置き去り事件です。
浄土真宗の布教使として、各地に布教拠点があった父は、
布教先に時々は、私を一緒に連れて行っていました。
同居していた叔母が一緒だったことが多かったと思います。
兵庫県の豊岡、親戚の和歌山、遠くは北九州と色々なところへお供させてもらいました。
中でも、私のお気に入りは堺市のIさんのおうちです。
Iさんのおうちには、同学年のお友達の他にもお兄さん、
お姉さんとたくさんのお子さんがいらっしゃり、とてもにぎやか。
近所のおじさん、おばさんに混じり、
子どもたちも大きな仏間に集まって、真剣に仏法のお話を聞きました。
中庭というのか、真ん中の広場を取り囲むように母屋があり、離れがあり、
そして酪農をされていたので、牛舎もありました。絞りたての牛乳が温かいこと、
煮沸して少し薄めていただいたことなど、今となっては貴重な思い出です。
おうちの離れは子どもの楽園です。
小さな建物に何人かの姉妹が寝起きされていました。
マンガがいっぱいあり、じゃれあって遊んでいたところ
「きっこちゃん、先生はもう京都へ帰られたよ。ここにはあなたしかいないよ」と晴天の霹靂の言葉。
確か小学校の低学年だったと思います。堺市まではいくつも電車を乗り継いで来ていたので、私は真っ青。
とても一人では帰れません。広いおうちを半泣きで探しても父も叔母も居らず…。
私の辛抱が途切れようとした時に、
みんなが「あのね、エイプリルフールだよ。先生もおばさんもいらっしゃるよ」と。
クスクスみんなで笑っています。父たちは隠れていたようです。
私の人生最大のエイプリルフール。本当に真っ青でした。
50年位前の話か。書きながら、過ぎ去った年月の長さを思いました。
今は父も、可愛がってくれた叔母も、堺の家のおばさんも亡くなられています。
そのおうちの牛たちもとっくに姿を消していて、今は住宅街になっているとのこと。
けれども、子どもの頃から一緒にお話を聞かせてもらったお姉さんたちとは、今もずっと大切なお友だちです。
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