No.912 思い出の関門トンネル
学生スタッフのTさんが以前、JR青春18切符を使って、
実家の札幌まで帰った話しを聞きました。
東北の一部路線と新幹線しか通っていない青函トンネルのみ、
追加料金を払い、2泊で帰ったとのこと。若さがうらやましい話しです。
その青函トンネルの話で私は子どもの頃、
本州と九州を結ぶ関門トンネルを通った時の事を思い出しました。
記憶がかなりうやむやになっているけれど、
山陽新幹線ができる以前にまだ小学校低学年の間に2回、
京都の実家から北九州へ旅行した記憶があるんです。
海底トンネルを走る電車に乗るということで、
車窓からは、魚やタコが泳いでいる海の中を見られるんだと、
とても楽しみにしていたのに、真っ暗な普通のトンネルで、
すごくがっかりしたものです。
そんな事を思いだし、話しながら、待てよ。新幹線ができる前 !
ということは、特急電車で北九州まで行ったということだよね。
一体何時間かかったのか、夜行だったのか?低学年の私には、大冒険です。
トンネルに入るワクワク感は覚えていても、その前の記憶はまったくなし。
父の布教先のお寺に叔母と共に泊めてもらい、
ガスでお湯が沸くお風呂があったのでびっくりしたことなども覚えているので、
あながち勘違いでもないと思うのだけれど。
関門トンネルについて調べてみて、これまたびっくりです。
明治時代に山陽本線が神戸以西に延びて行き、下関と結ぶのは1901年。
大正に入る前の明治時代のことです。
そして関門トンネルができて本州と九州が鉄道で結ばれるのは
下り1942年、昭和17年。
上り1944年、昭和19年と第2次世界大戦の末期です。
まさに戦争中工事をして、
なんとか輸送手段を潰されないようにという
必死の工事だったことと思われます。
今は新幹線用、人道用、車の道路などと一緒に
現役で在来線用として使われていて、立派に現役。
先達のご苦労が忍ばれます。
東海道新幹線が開通したのが1946年、
昭和39年で私が小学校2年生の時でした。
新幹線の発着駅の大阪と九州を結ぶ特急列車が次々と出たと、
記録にあります。
長い旅を往復した記憶も薄れて来たけれど、
日本が高度成長期に入り、それでも今とは比べ物にならない、
ゆったりした時間が流れていたことは確かです。
そして、トンネルで魚が見られるんだなどという、
子どもの妄想を誰も否定しなかった、大人ばかり、回りにいてくれたこと、
ありがたく思い出しています。
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