旅行・地域

2020年3月31日 (火)

No.830 インド写真館 食事編

インド写真館も後、食事編と番外編で終わりかな、と思っていたら、

世の中コロナウイルスで大変な騒々になっていきました。

何かブログアップしそびれちゃって、インドの話はこのまま終わりそうです。

そもそもインドでは、ご多分に漏れず、お腹を壊しつつの旅行だったので、

食事の写真もまともにありません。最後に少しだけ、写真をアップしますね。

インド写真館にお付き合いありがとうございました。

もう少し、お釈迦様のお話しを書いてみたかったけれど、また、ぼちぼちいきます。

Sdscn6635

ベナレスの裏路地でチャイや軽食を出す店

少し前、インドにAmazonが参入しようとしているけれど、

個人小店主の反対にあい、前進出来ないという記事を見かけました。

農地が広がる以外は町と町の間隔が狭く、

道の両側にはありとあらゆる商店が立ち並んでいた光景を思いだします。

Shorizon_0001_burst20200202155003570_cov

サリー、赤ちゃんの紙オムツ、お菓子など何でもブラブラぶら下げて売っていました。

人口も多くアマゾンには魅力的な市場だろうけど、簡単じゃないだろうな。

携帯電話の普及はしているけれど、ちゃんと商品が届けられるのかな?など、思ったりして。

そうこうしてるうちに、インドには日本人は入国禁止となり、

それから間なしにインド全国に外出禁止令がでて、ひと気のない、

デリーがテレビに写された時は、本当にびっくりしました。

あの人、人、人で埋め付くされていた喧騒の町。

インド人が言うことを聞くのかな?と思っていると、

今度は違反した人のお尻を棒で叩く警官や、腕立て伏せをさせられている光景が報道され、

やっぱりな、とニヤリとなりました。

Sdsc_0399

こんなお食事も。ホッケホテルではお粥や卵焼きの日本食も

Sdsc_0614

Sdsc_06122

最後のホテルの豪華なバイキング

 それにしてもコロナウイルスは不気味です。

2020年3月20日 (金)

No.829 インド写真館 美術編

インドでであった素晴らしい美術の数々。とはいえ、今回は美術館、

博物館はサルナート州立考古博物館のみでした。でもお伝えしきれないほどの中からどうぞ。

サルナート考古博物館蔵 アショカ王柱頭部

紀元前3世紀 背会わせの4頭のライオン インド国家の紋章であり、

Sdscn6503

すべての紙幣に描かれています。いまだに威厳と輝きを放っています。

Sdscn6512

サルナート考古博物館蔵 釈迦初転法輪像 5世紀

ほぼ完全な形で台座まであります。美しく、本当に魅了されます。正面、右、左と見る角度でも表情が変わります。

Sdscn6509

サルナート考古博物館蔵 釈迦八相図 誕生から入滅までの様相が示されています。

Sdsc_0445

バイシャリ八分骨のストゥーパとアショカ王柱

お釈迦様の入滅直後には仏像が作られる事はなく、

それぞれのご縁があった地に遺骨が分配されました。

人々は仏舎利塔(ストゥーパ)を作り、それを礼拝していたと思われます。

紀元前380年頃にほぼインドを統一したアショカ王が深く仏教を敬い、

アショカ王柱を立て、俾文にその地であったことを記したようです。

アショカ王柱とストゥーパのセットではこのバイシャリの王柱は

14mの高さと頭部まできれいに残っていて立派です。

時代は下り、1650年頃。インドはイスラム教のムガル帝国の統治下。

Sdsc_0699

有名なタージ・マハルは王妃の御廟です。百聞は一見に如かず。

そのスケールの大きさに圧倒されます。左右だけでなく、前後も対照です。

また、前門は赤砂岩の立派な物、左右にも対照の建物があります。もちろん、世界遺産です。

Sdsc_0730

ムガル帝国のアグラ城の紋様。美しいお城にため息が出ます。

タージ・マハルを作った王様はこの城の一室に息子に幽閉され、タージ・マハルを遠く眺めてなくなったと。

私なりの歴史理解。はー、まっちがってないかな?今回は解説が大変でした。

 

.

 

 

2020年3月16日 (月)

No.828 インド写真館 デザイン編

続いては気になって、写真に納めたデザインの色々

Shorizon_0001_burst20200129032713895_cov

首都デリーのインディラガンジー国際空港の玄関

印象的なデザインに見いってしまいます。飛行時間は10時間半。

到着は夜中の1時過ぎでしたが、空港内の店舗は24時間開いているとのこと。

友人はこの玄関デザインに「ウワー、インドへ来たー」と興奮して、

ターバンを巻いた人を見るたびに、「見てー、あっちにもインド人、こっちにもインド人」と。

そりゃそうです。インドですから。でも、ターバンを巻いているのはシーク教徒とのことで、

人工に占める割合は少ないようです。シーク教徒はお金持ちが多いそうで、空港ではたくさん、出会いました。

Sdsc_0292

インドの紙幣 50ルピー(約85円)

枕銭などのチップで、50ルピーにはお世話になりました。

中央にはインド独立運動のマハトマガンジー、右下に、サルナートで実物を見たアショカ王柱(インド国家の紋章)

Sdsc_0397

ラジギールホッケホテルのルームキー

アナログな鍵です。都会のホテルはカードキーで、差し込めば電気も付く、

今時でしたが、田舎のホテルは重々しいこれ。ホテルも山のロッジ風でした。

Shorizon_0002_burst20200201201548797

LPガス運搬車のロゴ 会社のロゴもかわいいし、危険物もよく分かります。カニシカメイルは会社名?

Shorizon_0001_burst20200205133857516_cov

タージ・マハルの大理石彫刻 友人は西アジア細密画を習っていて、

こういうチューリップの絵柄はモチーフとして多いとのこと。

ところで、この記事を掲載した今日16日(月)は、家庭の事情により

臨時休業させて頂きます。

ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。

 

2020年3月14日 (土)

No.827 インド写真館 街角編

コロナウイルスが、世界的な脅威となり、日常生活を脅かしています。

浅野屋も特にご予約がない日は「今日はお客様0では?」と心配しつつも、

なんとか綱渡りの日々です。

インド旅行が遠い昔にも思えるほど目まぐるしい毎日。

忘れぬうちにインド写真館へお誘いです。今回は街角の風景(ごく一部で残念)です。

3日目の早朝、まだ暗いうちに懐中電灯を持って、ベナレスのガンジス河へ。

ベナレスは英語読みで、現地の方はヴァーラナースィなどと発音されています。

言わずと知れたヒンドゥーの聖地です。

お釈迦様もお悟りをひらかれた後、「カーシーへ行く」とこのベナレスを目指されました。

今も昔も「霊的な光に溢れた町」という特別な聖地です。

私たちは、船に乗って立ち並ぶガートを見学。

残念なことにあいにくの天気で朝日が昇るのは見ることができませんでした。

それでもガイドさんの後に必死で着いて歩いた裏路地の光景、明け行く空、

立ち上る煙り、そしておいしかったチャイの味など忘れられないものでした。

Sdscn6555

まだ暗いうちに、明々としているのは、聖水を汲む水瓶を売る店

Sdscn6636

ヒンドゥーの神様の祠かな?ベナレスの狭い裏路地

Sdsc_0507

クシナガラの涅槃堂を出たところで、夜明けと共に屋台が出現。ピーナッツ売り

Sdsc_0523

インドとネパール国境付近の町。写真はインド側。色鮮やかなサリー。

Sdsc_0525

洋服屋のお隣はファスナーやボタンを売ってる小間物屋

Sdsc_0528

意外に?きれいに並べてあるドラッグストアー。

1階はシャンプーなどの日用品、2階は薬のようでした。

残念ながらバスからの眺めです。翌日ネパール検問所では、

屋台で駄菓子を買いました。乾期でとても埃っぽいです。

 

2020年3月 9日 (月)

No.825 インド写真館 動物編

久しぶりにブログ更新すると、皆さんから読んでるよ、とお声がかかり、うれしいです。

ありがとうございます。

さて、中断していたインドの旅。写真で振り返ってみますね。

と、ここで前回シルクロードでは、2日目辺りでカメラを落としてレンズがパリーン。

以降、フォーカスがかかったような写真となり、無念。

そして今回、もう壊れてもいいやと、愛用の古いカメラを持参したら、

2日目夜からまったく動かなくなる、とまたしても早々のトラブル。迷いに迷って持っていった、

スマホのカメラ機能に助けてもらった旅でした。

が、しかし、肝心のブッダガヤ(お悟りを開かれた地)はスマホ禁止で写真はなしとなったけれど。

インドは動物と人間が入り交じり、暮らしていました。

ゾウこそ、見かけなかったけれど、牛、犬、猿、ヤギは至るところに。

水牛、羊、いの豚などもよく見かけました。

猫はヒンドゥーの神様の乗り物のネズミの敵とみられ、人気が無いそうです。

ベナレスの路地裏にて  私たちが通るのをじっと待ってくれていた牛。

この写真を見て母は、「作り物が置いてあるのか?」と。いえいえ、本物です。

Sdscn6641

インドの牛。背中にコブがあり、乳量は少ないけれど、この牛のお乳の味がインド人は大好きとのこと。

この後でいただいた、チャイもおいしかったです。

Sdsc_0339

ナーランダ大学跡の看板を背にした犬。この犬がこの後ずーっと着いて来ました。

あちこちにいるけれど、おとなしく、怖くはないです。

瞑想する犬。寝るときは、どの犬もこのポーズ。

Sdsc_0583

祇園精舎のお猿。お勤めをよりしていたら、誰かのカバンを加えて行く猿。

Sdsc_0575

お菓子の袋を発見したようです。祇園精舎の鐘の音はいずこへ。ああ、プラゴミは怖い。

Shorizon_0001_burst20200131194723860_cov

霊鷲山の猿。こちらは孫悟空のモデルのキンシコウかな。しっぽが長い猿です。

お釈迦様の逸話にも猿はよく登場します。

Shorizon_0001_burst20200205131419570_cov

りすもあちらこちらにいました。

 

2020年2月21日 (金)

No.823 インド 仏陀のみ跡を慕う旅2

さて、現代のインドは今年中には中国を抜いて、人口が世界一位になる大国で、とにかく人々々。

デリーや途中泊まったラクノウなどは、高層ビルが建ち並び、

地下鉄や高速道路もあり、朝夕はたくさんの車で大渋滞です。ちなみにインドでもっともポピュラーな車は「スズキ」。

2位が「ヒュンダイ」だそうで、あちこちで見かけました。

トヨタやアウディなども都心部ではよく見かけたけれども、とても高級だそうです。

大都市に比べ、バスで回った仏跡地はどこもすごい田舎。

菜の花によく似たからし菜の黄色い畑が続き、

小さなヒンズーの祠にお参りする女性あり、素っ裸で修行の道中のジャイナ教徒の僧あり。

バスが着くとものごいに集まって来る、赤ん坊を連れた子ども、手に絵はがきや仏像を持ってくる物売り。

屋根の無い日干しレンガの家々が続き、朝夕には焚き火で煮炊きしている姿をあちこちで見ました。

ちなみに乾季の1、2月の気温は朝夕が4、5度で日中でも20度を越える日はなく、

暑い印象のインドですが、むしろ寒かったです。持って行った薄手のダウンジャケットやセーターを手放せない毎日でした。

道は舗装された道路に慣れている日本の私たちには悪路続きでしたが、

ラクノウからタージマハールのあるアグラへの道、アグラからデリーへ向かう道などは片側4車線の立派な高速道路。

しかも空き空き。これらは通行料金がとても高い私設の高速道路というのにもびっくりです。

考えられないぐらいの貧富の差にも驚かされたインドでした。

1日8時間は乗っていたバスでの眺めは飽きることなく、中でも心動かされたのは、

農村のあちこちで見かけたツルの群れ。アネハズルや黒ズルでしょうか。

彼らは遠くモンゴルの草原からヒマラヤ8000mの山々を一年に一度だけ吹く、

上昇気流に何度もトライしながら乗って、命がけでやってくるとのこと。

以前行ったシルクロードの仏教伝来の道々。私の中で2つの旅が一つになった感動の場面です。

Shorizon_0002_burst20200130193742377

どこか見慣れた風景のからし菜の畑

Sdscn6669

放牧されている羊の群れ

Sdsc_0411_20200221015001

かわいいデコバスはスクールバス

Sdsc_0419

派手なデコトラック

Sdsc_0417

カオスな交差点

 

.

2020年2月19日 (水)

No.822 インド 仏陀のみ跡を慕う旅1

インドからなんとか生還して、早や10数日経ちました。

その間、続々とお客様がいらっしゃり、中々ブログにも向かえませんでした。

お休みが続いたので、心配下さった方、インドの話を楽しみにご来店下さった方など、

私は改めて旅の目的やら、どうお伝えするかを考えさせられた期間でした。

私にとってはごくごく身近な「お釈迦様」が、一般には仏教の開祖、

ぐらいの認識で、その生涯はあまり知られていないいないのだなあと気づくのに、

時間がかかりました。簡単にそのご生涯と、足跡をお伝えできればなと願って、書き始めます。

今から約2500年前に、今はネパールになっている北インドの小国の王子としてお生まれになったお釈迦様。

29歳で国も地位も捨て一人の修行僧として歩み出されます。

艱難辛苦の果てに35歳でお悟り。それを人々に伝え、

北東インドの広い範囲を旅から旅へのご生涯は実に80年にも及びました。

王位継承の争いがあり、請われればそちらに赴き、教団内で揉め事があればその都度その都度、

ご自身の身をかけて根本解決の道を示された生涯です。

私たちは釈尊がたどられた道をバスで10日間に渡り、たどらせていただきました。

お誕生の地(ルンビニー、ネパール)、成道の地(ブダガヤ)、

初めてご説法をされた地(初転法輪)(サルナート)、お亡くなりになった地(クシナガラ)の4大聖地を初め、

「大無量寿経」や「観無量寿経」、「法華経」などが説かれた霊鷲山(りょうじゅせん)、

布教のための拠点となった祇園精舎やナーランダなどをお勤めをさせてもらいながら回る旅です。

この内、ルンビニーとブダガヤとナーランダ大学跡は世界文化遺産です。

Dsc_0549

ルンビニーに建つ新摩耶堂 広大な公園として整備され続けています

Horizon_0002_burst20200129180939690-1

サルナート、初説法の地に建つダーメクストゥーパ

Dsc_0349_2

ナーランダの僧院跡

Dsc_0477_2

お亡くなりになったサルナートの地に建つ涅槃堂

Dsc_0379

浄土教の聖地、霊鷲山で沈む夕陽を見て合掌

2019年10月 1日 (火)

No.798 瀬戸内への旅 その4

最終日は、大原美術館をゆっくり堪能。

間近で見るセザンヌやピカソの絵。

それは写真で見るのとは全く別物でした。

タッチにしても、線が長い、短い、荒々しい、繊細等々。

また、教科書で知っていた麗子像の岸田劉生や青木繁の他にも、

美術館の収蔵品を収集した児島虎次郎等のたくさんの優れた日本の画家の作品を知り、

連面と続いて来た絵画の歴史の重みに触れることもできたのは、私にとっては収穫でした。

さて残った時間もわずか。

岡山に行ったらどうしても訪れたかった吉備津神社が旅の締めくくりです。

1390年に建てられた、本殿は全国でもここだけという「比翼入母屋造り」は国宝です。

S039

S038

S036

私が見たかったのは、全長360メートルの廻廊。

1579年、再建当時のままの姿をとどめる、

自然の地形を活かした一直線の本殿に続く廻廊は、きれいに手入れされて残っています。

144153860_cover

Dsc_0118

大原美術館で見たエル グレコの「受胎告知」の絵とほぼ同じ時代に東洋の片隅で、

同じように祈りを捧げる建物が作られていたことは、

偶然とはいえ、私が、ここに来たかったこととは無関係ではない気持ちがしました。

 

.

2019年9月30日 (月)

No.797 瀬戸内への旅 その3

名だたる観光地でありながら、なぜか来たことがなかった倉敷。

川沿いの美観地区は美しい景観が川もに映り、

Dsc_0081

映画のセットのよう。観光客で溢れていて、

かつては綿花の積み降ろしで栄えた船着き場は観光船の、

Dsc_0067

実際に使われていた土蔵はお土産やになっているけれど、

一歩入れば、静かな暮らしの町並みでした。

Dsc_0106大原美術館の工芸、民藝館 米蔵を芹沢けい介がリメイク


紡績で栄えた町は他にも、備前焼や倉敷ガラス、

畳や畳のヘリ、ジーンズ、帆布製品、マスキングテープなど、

手作りを刺激するおみやげがいっぱいでした。

古いホウキ店では、今時見かけない、国産しゅろホウキや竹かご、竹でできた虫かごなど、

一昔前価格で売られていてびっくり。鍋しきを120円で購入。

夜に再び訪れると、美観地区の入り口を一匹のコウモリが飛び回っていました。

Dsc_0089_20190930022401

.夜の大原美術館

2019年9月29日 (日)

No.796 瀬戸内への旅 その2

二日目は、トーテムポールのような作品が立つ高松港で、船の発着を見ながら、

行けなかった直島に思いを馳せる。

2本のポールのおかげで港の景色が一変したんじゃないかな。

21509_cover

四国の玄関口は元気いっぱいでした。

ホテルを後に、一路、Mさんお勧めの讃岐うどんを目指して、到着。

ギリギリ行列ができる前の11時20分。田舎の細い道を次々と車が曲がって行きます。

全くの民家。外でもみんな食べている。うどん県の熱気にシェフも興奮。

Dsc_0057

何でも100円の具材をモリモリにして、もはや何か分からなくなったシェフの丼。

Dsc_0059

前のお兄さんはネギだけを載せたうどんをひたすらすすっていました。

常連の方のようでした。

うどんに満足した後は晴天の瀬戸大橋を渡り、倉敷へ。

途中のサービスエリアでは瀬戸内海の景色を堪能することができました。

123143263_cover

まるで絵ハガキのような風景。良い天気に恵まれました。

 

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ