旅行・地域

2025年5月30日 (金)

No..1110 歌行燈本店 三重旅その4

桑名は木曽三川が流れる河口で汽水域のため、

穏やかな海で育った蛤がつとに有名です。

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私たちはこのお店でお土産を買いましたが、

他にもアサリやしじみの佃煮を商うお店も多く、

夕方で片付けが始まっていた近くの貝専門店では、多くの人が働いていました。

街中の雰囲気を楽しみながら、夕飯には、

歌行燈本店で蛤料理をいただきました。

チェーン展開されているし、お値段もとってもリーズナブルなので、

どうかな?と思っていましたが、旧東海道に面した本店は趣きのあるたたずまい。

東海道で尾張の熱田、宮の渡しから、桑名側の七里の渡しへ。

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約28kmは海路だったんですね。

その渡しから程近いところにある本店には、船で着いた旅人が、

釜揚げうどんを啜ったという昔の屋号「志満屋」の看板も残っていました。

二階の看板の細い所に「志満屋」の文字があります。

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熱々で具された蛤焼売、おいしかったです。

お昼はバターたっぷりのエスカルゴだったので、

私は軽めに大蛤のおうどんのコースにしました。

蛤のエキスがよく出たおうどんはもちろん、他のお料理もすべておいしかったです。

店のメニューには、「日本の海が変わってきています。未利用魚はいかがですか?」と

あまりなじみのない魚の天ぷらなどがのっています。

そして、お値段からして、桑名で撮れる蛤ではない、

中国から輸入した蛤を蓄養と言って砂に戻して元気にして、出していることも、

きちんと書かれています。もちろん地蛤と呼ばれる天然もののお料理もあります。

おいしいお料理をいただい後は、暮れかけた旧東海道を七里の渡しまで、

歩きました。

予約の取れない、蛤料理の超有名店「日の出」はすぐ近く。

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今は堤防が築かれているけれど、そこだけ少し切れていて、

伊勢路の玄関口として「伊勢国一の鳥居」が建っています。

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夕暮れの気持ち良い風に吹かれての散策は旅の締めくくりに良いものでした。

エスカルゴも、蛤も、人間の乱獲によって、希少価値となっています。

自然界を取り巻く環境もずいぶんと変化してきました。

私たちは何を食べて、何を残していくのか。

考えさせられることが多い旅となりました。

食生活の変化に至っては、自分の子ども時代を考えると、

全く別物と言っても過言ではありません。

豊かになりました。でも、失われたものもたくさんあります。

名古屋から三重。

すぐお近くですが、三重と言えば伊勢志摩まで、

飛んでしまいがち。

近くても楽しい一日が、すぐ側にありました。

 

 

2025年5月27日 (火)

No.1109 松阪街歩きから桑名へ 三重旅その3

名残惜しく、エスカルゴ牧場を後に、

松阪へ行ったら松阪牛を扱っている店にも行ってみたいと、街中の肉屋さんへ。

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お目当ての肉屋さんは、精肉、コロッケなどの揚げ物、

お土産用の時雨煮等が、対面で並んでいて、お客様も多く活気がありました。

名古屋でも、一昔前前まで、店頭でコロッケを揚げる精肉店があったけど、

すっかり見かけなくなっています。

注文してから揚げてくれるコロッケや松阪牛フィレ肉の串かつ等

珍しいものやお肉等、お土産や家庭用も購入。

町の中心部で、八百屋さんや蜂蜜屋さん、

そしてかの有名な和田金などが立ち並んでいる広い道から少し入ると、

豪商の町として知られる古い町並みが残っています。

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家に帰った後、お肉で時雨煮や炊き込みご飯等作りましたが、

味わい深く、燻製のような香りがしました。

コロッケも昔ながらの味。これが1ケ120円にも驚き。

名古屋で見る、松阪牛のお値段より、だいぶ安いように感じました。

途中、道の駅にも寄りながら、

次の目的地、桑名を目指します。

桑名で行きたかったのは、安永餅本舗柏屋さん。

安永餅は東海圏では、気軽に買えるおやつだけれど、

近鉄京都駅では赤福は売っていても、

安永餅は売っていません。

また以前にいただいたビニル個装していない、

へぎに乗ったバラの安永餅がほしかったので、柏屋本店へ。

夕方あるあるの完売。ちーん。

予約しておけばよかった。

気を取り直し、ちょっと調べていた、

桑名駅改札横のファミリーマートでも売ってる情報をお店の人に尋ねて、

ダッシュで近鉄の階段を駆け上がる。ビニ-ルには入っているけど、

残りわずかなものをバラで無事購入することができました。

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本店で残っていた、「のしもち」も良いお土産となりました。

普通の餅より伸びが少なくさっぱりした餅は

安永餅のさっぱりに通じるものがあり、素朴な味を堪能しました。

煮餅にするとトロトロになりましたよ。

桑名駅の正面から、少し横の隅っこ、

目立たない場所にある柏屋さん。

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道は店の横から急に狭くなり、調べてみると、そこが旧東海道でした。

なるぼど、桑名の安永の地に一服する茶屋だったんですね。

本店へいけばこその発見が色々ありました。

 

 

 

2025年5月26日 (月)

No.1108 エスカルゴの生態 三重旅その2

ここからは、私が聞いた範囲のことで、間違いがあるかも、だけれど、

おもしろかったエスカルゴの生態について少し書いて見ます。

エスカルゴは夜行性。夜9時くらいに起き出してごそごそ餌を食べ出すと。

水もあちこちに飲めるように置いてありました。

落ち葉の下に産卵したり、子供が隠れたりしているとのこと。

雌雄同体で、生殖の時にオスとメスに別れ、

産卵したあとに、メスはオスになる。

その後オスとなった成体はメスに一回射精したら死ぬんだそうです。

一匹の固体がメスとオスの両方を体験する。

射精の後、死ぬのは、少し前に読んだ蜂の生態と同じで、

多くの動物が子孫を残すための成り行き、一生と思いました。

高瀬社長のエスカルゴにかける情熱はすごいものです。

奥様もよくついて来られたと思います。(あえて失礼ながら、穏和な田舎のおばちゃん)

後、2年くらいで辞めるかな、、とおっしゃっていました。

せっかく45年もの長きに渡って研究された技術は、ここで途絶えるのでしょうか。

シェフは、「空調管理にお金がかかり、どこでも、誰でもできるものではない」と言います。

「少し前に話題になった近大マグロや水耕レタス等も空調設備など

養殖のためにお金がかかりすぎる。

もっと自然に任せて、放牧に近くできないと無理じゃないか。」

それには、成体になるのに時間がかかる。うーん。難しい。

私たちは何を食べてきて、これから何を食べていくのか。

今、まさに話題沸騰のお米もどうしていくのか?

回りは麦畑と稲のたんぼが交互に現れる、

三重ののどかな景色の中、色々な思いが湧いて来ました。

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2025年5月24日 (土)

No.1107 行って来ました エスカルゴ牧場 三重旅その1

孫が7歳にして、エスカルゴの味の虜になり、毎回のリクエスト。

エスカルゴを色々と調べていると、三重県松阪市に、

世界初となるエスカルゴの完全養殖に成功した、

エスカルゴ牧場という施設があることを知りました。

施設の見学とエスカルゴ料理を食べさせてくれるとのこと。

浅野屋スタッフに松阪出身のNさんがいるので、

尋ねてみると、Nさんのおじいちゃんがそこのお手伝いをしていると。

そこで働いているわけではないが、詳しいことは孫であるNさんたち家族にもよくわからないとのこと。

早速調べてみるとユーチューブにもおじいちゃん登場!! 

よくわかりましたよ。もうびっくりで、これは行くしかないと、松阪への旅決行。

畑の畦道の先に、突然現れたエスカルゴ牧場の建物。

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エスカルゴにとりつかれたとしか言いようのない高瀬社長がお出迎え下さり、

すでに用意されたテーブルで、まずは研究の末たどり着いた味、

エスカルゴブルギニョンコースをいただきました。

ブルギニョンーそう、同じエスカルゴでも、

フランス本家本元はエスカルゴブルゴーニュ種を

食用として珍重しているとのこと。

卵も透き通ってとても奇麗です。

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私たちが、業務用として使っているアフリカマイマイとは全く別物との説明は、

食べてみて納得です。

肉質には嫌みがなく、柔らかく、研究を重ねられたソースは、

ニンニクも使用しているのに、

刺激的な味もなくとてもさっぱり、そして味わい深いものでした。

一緒に具された、パセリサラダも自家栽培の無農薬野菜との説明。

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繊細なパセリはシェフもセルフィーユと間違うほどの癖のない味わいでした。

食事の後、エスカルゴブルゴーニュ種を実際に触らせてもらい、

いよいよ施設見学です。

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残念ながら、こちらはカメラ禁止でした。

ブルゴーニュの森を再現するために、

日本の酸性の土をアルカリ性にしていく土を作っているところ、

山の葉っぱを集めて腐葉土を作っているところ等を通り、まずは産卵棟。

続いて養殖棟。と主に二つの施設が、

厳格な温度管理の元稼動していました。

始まりは、お土産にもらったエスカルゴ。

そこから、ご自身の私財を投じての、施設開発。

フランスへも何度も行かれ、初めは37匹の個体を譲り受け、

毎年のように行かれて、1000匹のエスカルゴを譲り受けられるまでになり、

農水省の許可も取り付けられています。

面白いのは、エスカルゴが陸貝となっているのに、魚類の許可とのこと。

自然界では3年かかる成長を独自の餌の開発で3ヶ月に短縮。

本家のフランスでも、個体数が減り、

保護動物に指定されていることからも、その有用性を説かれていました。

餌代がかかる牛や豚に変わり、これからはこのようなものを食べて行くのではとは、

二酸化炭素の放出が多い家畜からの方向展開を予測してのことか。

でも、御年78歳。さすがにお疲れも見え隠れします。

「有名なシェフ、大学の先生、農水省の役人、タレントさん、

いろんな人が来るけど、2回目はないね。」

その言葉に先駆者としての寂しさを感じ、

同時に考えさせられることがいっぱいの見学となりました。

高瀬社長には、本当に敬意を表します。

もっともっとお話を伺いたかったです。

お土産に、店でもお出しできるように調理されたものを購入してきました。

が、ごめんなさい。

すでにお話ししてあった方々から、予想以上のご予約が入り、

ご予約は今回は終了です。

どうしてもという方は通販をされているとのことです。

ご利用も可能です。ちょっとお値段はしますけど。

 

 

 

 

 

2022年11月 3日 (木)

No.1020 富山旅

刺激的でストレスフルな都会か、マンネリだけどストレスフリーの田舎か。

そんな風に感じた旅でした。

先日の連休を利用して、4月に富山県の高岡市へ引っ越して行った、

次女のところを引っ越し後、初めて訪ねました。

以前住んでいた町には、2回の出産もあったので、

頻繁に行き来していたけれど、今回は半年ぶりです。

ペーパードライバーを返上した娘の運転で行った富山の呉羽山からは、

市街地を望み、雪をいただいた立山連峰が堂々とした山容を現した時は感激。

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あっという間に成長していく孫たちと楽しい時間を過ごさせてもらい、

久々に私はストレスフリー。

子供は広い家の中を走り回り、以前よりパワーアップしていました。

海あり、山あり、美味しいものが満載で、生活するには、

そんなに困っていないような町の佇まいは、

気持ちの落ち着くものでした。

そういえば、マンションらしき建物は見当たらず。

でも、新しい事をやるには、ハードルが高いとは、娘の弁。

さて、ほどほどの田舎と名古屋のような大都会とどちらが住みやすいのか?

旅行支援を利用して、一泊のホテル旅も満喫して、

帰途に着いたまではよかったけれど。

帰りの高速バスは、休憩に入ったサービスエリアで警告音が鳴り出し。

少し走ったけれど、次のサービスエリアで走行不能に。

幸い、郡上八幡近くだったので、

ジャンボタクシーで、2時間遅れで、無事に名古屋へ着きました。

私は旅行中にふとしたことから、携帯電話がひび割れ、

画面がバーコードのようになる中、なんとか、家人と連絡取り合う羽目に。

翌朝、壊れた携帯電話を足に落として指がぽんぽんぽんに腫れたまま、仕事。

娘のところは、私が帰ったことに気づいた下の子供が追いかけようとして、

パパが危ないと、引っ張った肘が外れて、接骨院へ。

と、双方てんやわわやの結末でした。

そんなこんなも含めて、楽しい時間をいただきました。

季節は巡り、もう11月。なんだか慌ただしいけれど、また頑張らせてもらいます。

みんなで行った、世界遺産、五箇山の合掌作りの村。

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五箇山の山の中に、私をぜひ案内したいと、

熊鍋や熊刺しを出す店に連れて行ってくれました。

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ジビエなんて気取ってない、マタギの店。お値段もリーズナブル。

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初めて食べる熊刺しは口の中でとろけ、

最後にほのかなナッツの味がしてとても美味でした。

 

 

 

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2022年8月24日 (水)

No.1013 夏の名残の一夜

昨年はコロナ禍で見送った鵜飼い見物に行って来ました。

鵜飼いといえば、岐阜の長良川鵜飼いが有名ですが、私達が向かったのは犬山の木曽川鵜飼い。

名鉄電車に乗り、自宅からは1時間程で、ゆったり流れる木曽川、

迫り来る山、目をやれば国宝犬山城という、

日常とはまるで違うロケーション。

暮れなずむ川面に鵜と鵜匠さんがスタンバイ。名鉄電車が鉄橋を渡ります。

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昨年新調された、ろうそくが入った提灯。

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気持ちの良い川風を受けて、狩場まで観覧船で行く先にはライトアップされた犬山城。

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さていよいよ鵜飼い見物の始まり。

籠の中におとなしく入っていた鵜が鵜匠の手綱から川面へと放たれます。

一度に10羽の鵜を操る鵜匠の他にも船頭さん二人、

(中乗りさんの意味を初めて知る)他に一名、

睨みを利かせている人物と4名一組の漁です。

鵜は潜っては魚を飲み込み、手綱を引かれて舟に上がれば、

手綱を絞められ魚を吐くを繰り返します。

かいがいしく働く鵜と、見事な手綱さばきの鵜匠の息もピッタリで、

あっという間に30分の鵜飼いが終わりました。

1300年続く漁法とのことですが、

今は伝承と観光のためのようです。

それでも、一夜では身につかない技と、鵜匠一家と一緒に、

一生暮らすと鵜との信頼関係は、

見ているものをすっかり魅了させてくれました。

舟の舳先の篝火のあかりを思いだしながら、名鉄電車で名古屋駅まで戻って来ると、

人工灯に照らされて、あふれる人波があり、

一度に現実に引き戻されました。

百聞は一見に如かず。

夏の名残の幻想的な一夜を楽しませてもらいました。Sdsc_2774Shorizon_0002_burst20220823195814464

最後に、教えてもらった、

日常生活に溶けこんだ鵜に因んだ言葉を紹介します。

「鵜呑みにする」 なるほど。

「鵜の目鷹の目」  鵜はとても視力が良いそうです。

「うがい」 へぇ。なるほど。

そして、鵜が一番難儀する獲物は「ウナギ」(う、難儀)とか。

なあーるほどでした。

ちなみにチーフは、

翌日の運転免許高齢者講習のためにお留守番でした。

 

2022年4月16日 (土)

No.988 京都花と食のディープな旅その2 御倉屋

美しくもその美しさが怪しさをも想気させた原谷苑を後に、

シェフが再訪を望んでいた、和菓子の御倉屋(みくらや)へ。

原谷からもう少しだけ北東へと、こちらも京都市内では、

北の北。中々訪れることが難しい場所です。

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前回訪れたのは、15年位前かしら。

最近は、素朴な「旅奴」という、

和風ポルポローネのようなお菓子が有名だけれど、

生菓子の上品な味わいに唸りました。

駐車場がないので、私は車でお留守番。

シェフと娘が、上手に選んでくれて、

実家へのお土産もできました。

店内にはお菓子の見本が並んでいるだけで、

お値段の表示は無いそうです。

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注文を受けてから、丁寧な包装にも時間がかかります。

お菓子の味わいは、これが洗練というものか、という感想です。

一口食べて、美味しい!と言うものではなく、

スムーズに口に運ばれ、秘かな楽しみが口中に残るという味わいです。

旅の翌日、残ったお菓子を抹茶をたてていただきました。

が、しかし、すでに生地がパサパサしかけて、

美味しいものの儚さを感じつつ、作り手の良心にも触れた思いです。

御倉屋さん、有名だけれど、流されずに、

守っていただきたいお味です。

 

 

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2022年4月15日 (金)

No.987 花と食を巡るディープな京都旅 その1原谷苑

若い時、桜はあまり好きにはなれなかった。

満開になるとぼんやりした花色で、つかみどころがなく、

どこを見ていいのか、不安な気持ちを抱いた。

歳を経るごとに、厳しい冬の寒さを耐え、咲く桜が、

素直に春の訪れを喜ばせてくれる花になりました。

先日、たっての希望だった、京都洛北金閣寺の奥にある、

桜の園、原谷苑を訪れることができました。

4月も半ばで、少し遅いかな、とも思いながらも、

京都でも最北、北山にへばりつくような原谷。

桜の種類も枝垂桜が中心と、思いきって出掛けました。

入場料1500円(時価だそうです)を支払い、

一歩園内に足を踏み入れると、そこはまさしく桜の園。

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満開の枝垂桜を中心とした様々な桜が空を覆い、

雪柳、レンギョウ、山吹、山つつじ、しゃくなげや

色とりどりのボケなどの低木も花盛りです。

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高低差のある園内には所々に床机が置いてあり、座ってゆっくりと景色を眺めることもできます。

この景色は何といえばよいのか。庭園でもない。公園でもない。

植物園でもないし、山でもない。

不思議な眺めです。まるで夢の中にでも迷い混んだような。

 

とても美しい。天気も申し分ない。

でも、なんとも浮世離れしたような景色で、

ここにはコロナ禍での不自由も、

ウクライナでの悲惨な出来事も何もなかったかのよう。

若い時、桜に感じたような不安な感覚が呼び覚まされたような、

なんとも不思議な場所でした。

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約一時間の周遊を終え、外に出ると同行した娘も、

夢幻というのか、白昼夢というのかな、

と同じような感想を述べたこともびっくりでした。

京都洛北、原谷苑。桜に覆われた美しい花園でした。

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2020年3月31日 (火)

No.830 インド写真館 食事編

インド写真館も後、食事編と番外編で終わりかな、と思っていたら、

世の中コロナウイルスで大変な騒々になっていきました。

何かブログアップしそびれちゃって、インドの話はこのまま終わりそうです。

そもそもインドでは、ご多分に漏れず、お腹を壊しつつの旅行だったので、

食事の写真もまともにありません。最後に少しだけ、写真をアップしますね。

インド写真館にお付き合いありがとうございました。

もう少し、お釈迦様のお話しを書いてみたかったけれど、また、ぼちぼちいきます。

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ベナレスの裏路地でチャイや軽食を出す店

少し前、インドにAmazonが参入しようとしているけれど、

個人小店主の反対にあい、前進出来ないという記事を見かけました。

農地が広がる以外は町と町の間隔が狭く、

道の両側にはありとあらゆる商店が立ち並んでいた光景を思いだします。

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サリー、赤ちゃんの紙オムツ、お菓子など何でもブラブラぶら下げて売っていました。

人口も多くアマゾンには魅力的な市場だろうけど、簡単じゃないだろうな。

携帯電話の普及はしているけれど、ちゃんと商品が届けられるのかな?など、思ったりして。

そうこうしてるうちに、インドには日本人は入国禁止となり、

それから間なしにインド全国に外出禁止令がでて、ひと気のない、

デリーがテレビに写された時は、本当にびっくりしました。

あの人、人、人で埋め付くされていた喧騒の町。

インド人が言うことを聞くのかな?と思っていると、

今度は違反した人のお尻を棒で叩く警官や、腕立て伏せをさせられている光景が報道され、

やっぱりな、とニヤリとなりました。

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こんなお食事も。ホッケホテルではお粥や卵焼きの日本食も

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最後のホテルの豪華なバイキング

 それにしてもコロナウイルスは不気味です。

2020年3月20日 (金)

No.829 インド写真館 美術編

インドでであった素晴らしい美術の数々。とはいえ、今回は美術館、

博物館はサルナート州立考古博物館のみでした。でもお伝えしきれないほどの中からどうぞ。

サルナート考古博物館蔵 アショカ王柱頭部

紀元前3世紀 背会わせの4頭のライオン インド国家の紋章であり、

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すべての紙幣に描かれています。いまだに威厳と輝きを放っています。

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サルナート考古博物館蔵 釈迦初転法輪像 5世紀

ほぼ完全な形で台座まであります。美しく、本当に魅了されます。正面、右、左と見る角度でも表情が変わります。

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サルナート考古博物館蔵 釈迦八相図 誕生から入滅までの様相が示されています。

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バイシャリ八分骨のストゥーパとアショカ王柱

お釈迦様の入滅直後には仏像が作られる事はなく、

それぞれのご縁があった地に遺骨が分配されました。

人々は仏舎利塔(ストゥーパ)を作り、それを礼拝していたと思われます。

紀元前380年頃にほぼインドを統一したアショカ王が深く仏教を敬い、

アショカ王柱を立て、俾文にその地であったことを記したようです。

アショカ王柱とストゥーパのセットではこのバイシャリの王柱は

14mの高さと頭部まできれいに残っていて立派です。

時代は下り、1650年頃。インドはイスラム教のムガル帝国の統治下。

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有名なタージ・マハルは王妃の御廟です。百聞は一見に如かず。

そのスケールの大きさに圧倒されます。左右だけでなく、前後も対照です。

また、前門は赤砂岩の立派な物、左右にも対照の建物があります。もちろん、世界遺産です。

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ムガル帝国のアグラ城の紋様。美しいお城にため息が出ます。

タージ・マハルを作った王様はこの城の一室に息子に幽閉され、タージ・マハルを遠く眺めてなくなったと。

私なりの歴史理解。はー、まっちがってないかな?今回は解説が大変でした。

 

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